2009年01月19日

シティが残るなら、その原資をどこで調達するのか



新大統領の就任前にこの発表はなんだろう?
コアとノンコアに色分けされて、ノンコアは売却するという意味となってもそれで補える規模の損失ではないが、とりあえず次の段階に進めるという意味だろう。
損失の規模がまだまだはっきりしていないので、この先に何がおこるかわからない、という見方は株式市場の反応の冷たさをみてもわかる。
ノンコアに入った日興は日系の金融会社に買われる可能性が高いのではないか。
シティとGMをどのように処理するか決めるにはそれほど時間はかからないだろう。救済する場合には、その負担はめぐりめぐって日本にやってくる。オバマに惑わされることなく、国益を守らなければならないが、日本にそれだけの備えはないようである。
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2009年01月16日

懺悔すりゃいいってもんじゃないが、謝らないよりまし。

中谷巌は小泉純一郎や竹中平蔵元とは思想的に近く、「米国式市場万能論」の信奉者として「日本の米国化」を強力に推進してきたエコノミストであったのを自ら認め、それは過去のことだと、そしてそのような流れを作った自分の責任を認めている。過去の自分の主張には大きな過ちがあったと自著の中で、そして各週刊誌で「懺悔」をしている。

「週刊現代」ではこのように述べている。冒頭部分を引用。

豊かな中流階級はどこへ消えた
 私《中谷巌》はいま、これまでの自分の主張が誤りだったと率直に反省しています。
 1990年代、細川内閣や小渕内閣で首相の諮問機関のメンバーだった私は、規制緩和や市場開放の旗を熱心に振り続けました。
 そして小渕内閣の「経済戦略会議」議長代理として発した提言は、その後、同会議の委員だった竹中平蔵さんによって引き継がれ、彼が小泉内閣で政策立案の中心人物となったときに、小泉構造改革の一環として実現していきました。
 小泉構造改革は日本にアメリカ流のグローバル資本主義を持ち込みました。間接的にですが、その改革に参画した私は、小泉・竹中氏同様、日本社会に構造改革を持ち込んだ張本人なのです。
 しかし、いきすぎた構造改革は日本社会の良き伝統を壊す強烈な副作用を生み出しているように思われます。貧困層の増大、異常犯罪の増加、ぬくもりのある社会の消失などです。「これはいけない」と、私は自らの主張が誤りだったと悔恨の念を持っています。
「すべての改革が不要だった」と言っているわけではありません。ただ、改革は人々が幸せになるための手段です。構造改革で日本人は幸せになれたでしょうか? 多くの人々を不幸に陥れてしまう改革は、改革とは呼べないのです。

しかしなぜこうも「改革」に明らかな欠陥が実証された今の時期に懺悔などしているのか。頭がいいんだろ、もっとはやく気がつけよ、そしてそれを止めればよかった。
純一郎が総理を、平蔵は議員を辞めて2年以上もすぎて、経済危機になて、それで「懺悔」とはちとムシが良いのではないか。
胡散臭い。
現在は三菱のシンクタンクにいるらしいが、これからこの壊れた共同体をどう統治して、みなの幸せを再生するのか、それに尽力してから、あらためて総括していただきたいものだ。
全然反省しないどころか、まだ十分に改革できていないからだ、などという輩がいる。その方たちと比べれば良心があるのかもしれないが、なにか安全なところを行こうとしてる気がしてならない。
それにしても平蔵は去年の今頃「サブプライムの処理はもう4合目まできている、だから心配しなくてよい」などとテレビで言っていた。
うそじゃん、全然。これで慶応の先生ですって言えるのだから、気楽な稼業だ。



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2009年01月14日

資源を掘り出して、国家をもつのだ

日本は資源がない。外国からエネルギーや工業の原料、食糧を輸入しないと、経済が成り立たない。輸出で儲けたお金で、それらを輸入する、そしてまた輸出、そのようにして成功したのが今の日本で、これからもこれを続けるしかない。だから円高になると国際競争力がなくなり困る。アメリカのような国が窮乏すると輸出先がなくなってこれまた困る。以上は中学生くらいでも、学校で教えてくれる知識だろう、そうでないと困るが。
私が高校生のころに円高不況なるものが日本を襲った。あまりに日本の製品が売れるので、円の価値を高めて日本からの製品の価格をあげてしまおう、というアメリカの作戦だ、と当時の新聞には解説してあった。いわゆるプラザ合意である。私には二つの疑問がどうしても解けなかった。新聞のどこにも書いていなかったからである。ひとつはなぜ円高が悪いのか、そしてそんな作戦をアメリカはとれるのか。
今でも円高は悪いことになっている。日本は輸出もするが輸入もするわけで、輸入するものが安くなれば、それだけ安い製品が作れるわけだし、なにより石油や食糧は安くなるからいいんじゃないの?そもそも国として強いののどこが悪い?そしてその強い日本をつぶそうとしてアメリカが動くのはわかるが、国際協調してそんな政策をどうやったらとれるのか、なぜそれを日本は許すのか?
四半世紀を経てもその疑問は解消されたわけでない。なんとなくそんなもんだろう、そういう原理か法則が働いているのだろうくらいに思うことにしている。要は日本が真の独立国ではないのだ。後藤田正晴が生前言いきっていた。「日本はアメリカの属国であったが、今やそれ以下だな、国でもないぞ」後藤田が亡くなって3年を過ぎたが、この有様をどういうのだろう。
輸出を主として去年まで「過去最高」の業績をあげていた製造業は、わずか半年でだめになった。円高と経済危機である。円高と経済危機は別々の問題のようで表裏一体である、今のところ。おそらくあと1年くらい?まちかど景気判断は「最悪」らしいが、これよりも最悪がやってくる。これは間違いがない。今の内閣のしていることはそのシナリオを進めているにすぎない。円安と経済危機となる。
前述のロジックでいえば、輸入もできなくなる、よって輸出もできなくなる。今は作れるがその時は作ることもできなくなるのだ。円安だけがその理由でなく、今のように財務的な悪化をすぐに生産リソースでしのごうとすれば、作りたくなった時に対応できなこともある。貿易立国日本の終わりである。こういう時こそ現場を温存して、別の商売にそのリソースを速やかに移転していくことが本来あるべき姿なのだが、「会社がなくなってしまったらしょうがないだろう」という変な理屈である。この理屈の会社とは「株主」の会社である。近い将来、日本の会社はまた外国資本の洗礼を受けることになり、残た会社も外国のものになるのに。国もなく、会社も外国のもの、よるべきものはなにもなくなるな。貿易立国日本でなくなったこの国は猛烈なハイパーインフレだ。なにしろドルが紙屑になっていくのにアメリカ国債は売るに売れない。属国以下だから。宗主国アメリカは国債の代金にドルを刷りまくる。印刷すればドルがでてくるからこれはやめられない。アメリカ国内はものすごい勢いでインフレになり、借金は問題でなくなる。日本がため込んだドルは価値が一気に下落して、なにも買えなくなる。
おそらく中国はもっとひどい状態に陥る。アメリカの国債を一番多く買っているのは中国だからだ。でも彼国は全体国家であるから、また統制すれば落ち着けるかもしれない。なにしろ未だに植民地支配を続けている国だ。他の国がそんなことをしようものなら大変な反応をするアメリカはイスラエル同様に中国のやることにはもはやなにも言わない。追認するだけとなる。理由は簡単、国債を売られたら大変だからだ。今の状況で国債が暴落したら、すべてが終わり。
そもそもサブプライム問題なんていうのは、中国とアメリカがつるんで、実体のないお金をふくらまし続けた結果だということが明らかになってきてる。アメリカのモーゲージを中国が買った代金で、アメリカが中国からモノを買うという循環。落語にあるでしょ、そんな噺が「花見酒」って。あの落ちは酔っ払って終わりだが、酔いが回ってわけがわからないところはそっくりだ。
しかし資源がないからこんな情けないことになっているわけだが、本当に資源はないのか?
実はある、あるのだ、あるのだがこれが海の底にある。その量、天然ガスでいえばどうも国内消費量の約100年分があるらしい。メタンハイドレートっていう氷のようなものが天然ガスを含んでおり、「燃える氷」なのだそうだ。
領海内には11か所の海底熱水鉱床もある。この周辺にはレアメタルが眠っているという。必要なのは見つけること、つまり海底探査と、掘り出す掘削の技術だが、これは現在でも日本は相当な技術を蓄積している。法律も海洋基本法が2007年に成立している、しかも超党派で。
今は落ち着いているが、もちなおせばまた資源価格の高騰は避けられない。なにしろ世界の人口は60億から90億に向かって驀進中だ。資源の奪いあいになることは長期的にみれば変わることはない。
日本を資源大国にして、新しい産業と雇用を興す、これがビジョンであり、この新しいチャレンジをミッションにして働くこと、これは次世代の国家をつくりあがることに他ならない、なんて言ってでてくるリーダーはいないものか。そのために2兆円を使います、それでもいい。
次の選挙でどんな国家を作るのかを語れるリーダーがでてくることを望む。資源がない、っていう常識をひっくり返すくらいのことを言える現実的な背景はすでにあるのだ。
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2009年01月13日

あと100日以内で徹底的にぼろぼろになる麻生内閣:誰でもいいからさっさと次のビジョンを訴えろ

オバマの就任までカウントダウンに入った。
おそらく100日、つまり5月までには現状を打開するための大胆な方針を打ち出してくるだろう。その過程において支持を落とさないために、とにかくchangeの賞味期限を伸ばすために奔走するだろう。賞味期限は100日だ。それまでにあらたなおいしいものを納税者に提供しなければ「オバマのお店」が傾くどころか、世界が落ちる底には限りない亀裂を入れることになる。
その100日以内に必ず麻生内閣は終わる。理由は簡単である。オバマと比較された結果、内閣支持率は史上最低であった森内閣を下回るくらいまで落ちるからだ。見かけの良さで総理大臣の支持が決まるのは同情するが、オバマに負けないくらいのリーダーシップを見せることがそもそも政体の違う日本では無理なので仕方がない。
自業自得と言えばそれまでだが、小泉自民党以来、アメリカ型の民主主義に変わることを良しとしてきたのは自民党自身である。
しかし100日というのは本年度予算が憲法の規定により自然成立する時期とちょうどリンクしていて気持ちいいくらいのシンクロニシティだ。天もうまく演出する。

オバマの東奔西走ぶりは連日、日本でも報道されるだろう。ブッシュは幸いにして間抜けだった。ブッシュに魅力を感じ、アメリカの強いリーダー、そして大統領制という政体に憧れることはなかったが、閉塞しおびえきった世界に勇気を与えるような行動、言動をオバマが見せればそこにこれまでになかった新鮮な感動を覚える層が必ずでてくる。
予備選から2年近くもかかる大統領選は否が応でも有権者の関心を煽り、そのなかで候補者が絞られてゆく、まさに劇場型政治である。そのプロセスは厳しいまでに晒され、国民的興奮にまで高められた圧力に押しだされるようにリーダーが決まり、そして強大な権限を与えられる。その政権は前政権の空気をガラッと変えることができるのだ。それは人物のもっている魅力以上にアメリカの大統領というのは見てもらってなんぼの商売だからである。多人種という縦串と経済力という横串で細分化されたセグメントに対して、動員をかけるにはわかりやすく、納得感があることが不可欠だからだ。それは国境を越えて、英語を解さない国でも支持される要素を持っている。
オバマも「バラマキ」をやる。GMは救われるだろう。減税もするだろう。日本とやっていることはそうは変わらない。違うのは見せ方だ。彼の政策の柱は「仕事を作る」と言っている。250万から300万の雇用を金を使って創出すると言っているのだ。こういうと「バラマキ」とは言われない。グリーンニューディールなんてことを示唆している。
こういう流れで話していまうと100日以内に300万の雇用を実現するように聞こえるが、もちろんできない。100日以内にアクションプランを作るだろうということなのだが、実態経済はとかく感情で動いている。希望が見えれば良い方に回りだす。そのレバレッジとなることがオバマの政策の中身だ。
2兆円を国民にあげます、これで消費を拡大して経済を浮揚させましょう、自分でタイプしていて笑ってしまうが、「雇用を作る」とはエライ差がある。その一方で消費税は上げますという。これを法律にするとまで言う。それは間違いではないが、有権者を動員することはできない。ちぐはぐで一貫性がなく、統治能力を感じさせない。麻生さんには気の毒だ、本当に気の毒だだオバマと比較されて沈むしかない。
たらればの話をする気はない、と定額給付金を受け取るのかどうかという質問に答弁しておられたが、それをしたいのは総選挙についてではなかろうか。あの時期しかやっぱりなかったのだ。発足と同時、臨時国会冒頭での解散。勝てはしないが、民主党政権を誕生される選挙にはならなかっただろう。4月以降の選挙はその空気がむんむんしている。
識者は言う、民主党には政権担当能力はない、と。それでも小沢総理を望む人が増えている。きついお灸を自民党にすえないといけない、と考えている人が増えた、などとこの理由を解説する人もいる。無党派が共産党に流れている、無党派どころか与党から共産党へ流れだしている現実は「お灸」という例えで済まないことを示している。

これは私のもっている印象だが、日本の有権者の目にはリーダーである総理大臣はいつも好ましい人物とは見えていない。むしろネガティブである。それはどこか安定した大企業の一般社員が社長を見るようなまなざしである。どうせあまり変わらないが、社長はある時期が過ぎれば代わるだろう。そういう企業がないのであれば、役所でもいい。要は統治能力などはたかが知れていて、部下である幹部を束にしてひっぱってゆくどころか、実態はまるで逆。
でもそれは日本型経営であれば当たり前の光景であり、それこそが日本の強さだった。「現場」は「本社」よりも強かったのだ。「本社」がどんな動き方をしても「現場」が尊ばれリソースが維持されることが日本型経営の強靭な足腰となり、きつい坂道でも登ることができた。
「現場」とはなにかをここで短く解説できないが、ここ数年で確実に弱体化させられた。経営陣こそは企業の中枢であり、株主こそが会社のオーナーであるという考え方が善とされ、末端の現場は取り換え可能で安価なリソースをそろえることは当たり前となった。
企業はなんでも作ったりサービスしたりできる、要は経営者の発想自体こそが企業の繁栄の源泉なのだ、というスーパー経営者が嘱望され、アメリカのように巨額の報酬を受け取る権利が経営者にはあるということになった。利益は従業員に還元されなくなった。
その結果、派遣法はずたずたにされ、粗い網の目にひっかかっていた労働人口の3割は、その年収200万すら失い、寒空のしたに置かれる。これを「まじめに働く気がない」と言う政治家。国民の生命と財産を守るべき政府の役職につく人間のこのような発言はまさにふまじめ。すべての結果には原因がある。まじめに働く気がない人間にも生存権を与えたのが今の憲法で、生存するにことに不安がないことから労働の尊さは芽生えるのだ。
このような事態に陥ってはすべてはマイナスに動く。人は寄るべきところがない。政府も企業もまともなリーダーがいない。言っていることがとんちんかんで、ゆくべき方向をさししめせない。今こそ国家のために国民はこれからなんの仕事をするのか考えなければ国家は自壊し、繁栄は失われることになる。そうなってもいいというのも選択のひとつだが、なにも考えないでそうなるのと、選択してそうなるのでは子孫たちの評価は随分と違ったものになるだろう。原因と結果の関連性を理解できないくらいつまらないことはないからだ。だから国家と企業は、個人を自分の生き延びることを考えることで手いっぱいにさせずに、国家のために仕事する、それにはなにをすべきか、そのような太いアウトラインを共有させるプロセスをつくるべきだ。これから国家と企業が築いていかなければいけないプラットホームはなにか、それを次世代にどうわたしてゆくのか。
渡辺喜実がなにを考えているか理解できないが、「国民運動」というのは反対しない。総選挙まで100日として、「国民運動」的な強烈なモチベーションのなかで総選挙当時を迎えなければ我々の未来はないのではなかろうか。麻生がどうのこうの、なんてちいせえはなしじゃねえの?

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2009年01月10日

STOP THE WAR!



彼の地に静寂がおとずれ、子供たちの安らかな寝息が聞こえる不安なき夜明けを迎えられる日がまた来ますように

願うしかないから、願う
その静寂を想像して願う

その静寂が死体を浮かび上がらせる月の光の色でないことを願う



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2008年12月18日

橋下をかまうな

あのお方はみんなが騒ぐような乱暴な話をしたくてしたくて仕方がない。
マスコミもそれになれてきたから、ますますエスカレート。
受けてしまうと、もっと受けること言いたくなるのは人情だから。
ああやって、自分の発言に反応があることで自分の存在を確かめているのだろう。
文部科学省も人がいいな、真面目に相手をするのだから。
ただのクレーマーなのではないでしょうか。
普通のクレーマーと違うのは金品の要求でなくて、大阪府民から笑いをとることが目的であるということ。知事の座を守るにはこれからもテレビカメラがきてくれるような、面白いネタを大阪府民に向かって投げ込むめに、誰彼かまわずつっこんでいくのだろう。
自分のためにしか動かない人なのではないだろうか。
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どうしてこんなに悪くなるのかわかりません



経済危機がそれほど深刻なのか、それとももともとの経営がまともでなかったのではないか、そう思えてしまうほどの落ち込み方ではないだろうか。
想像をはるかに超える市場の悪化というが、きちんとリスクを計算しないまま甘い見込みで立てた計画のツケが回ってきたようにも思える。どこか心理的に偏ってしまい、良い方へ結論を導くような数値の分析があったことを否定できまい。
悪くなったら悪くなったで、また心理的に悪化した見方をさらに悪くするような冷静さを欠いた判断をしているではないだろうか。
技術に自信があって、これからも市場を作り育てられる根拠があればこんなにあわる必要もないだろうに。同じような車をちょっとづつ変えて、細分化した市場に投入してきた。それがうまくいった。排気量ごとにワゴン車を増やして、軽も作って、主軸はコンパクトカー、それがうまくいっただけ。これでうまくいかなくなるとどうしていいのかわからない。なにか技術革新をしてきたわけではないからだ。
エコカーを作ると言っているが、これも根拠が薄い。フィットでしばらくいけるはずだったから。
フィットの成功、ワゴン車の成功すっかりホンダはダメになってしまったと思っているのである。あの路線にはホンダらしさを微塵も感じることができなかったからだ。

ナンバーワンエンジンを作るよ、と言ったのは本田宗一郎。
それを聞いて涙を流したアイルトン・セナ。
91年だったか92年だったか、FIAの表彰式でのひとコマだ。
両者とも鬼籍に入り長い時間が流れた。
その時のF1プロジェクトリーダーだった後藤治はホンダを去り、マクラーレン、フェラーリを渡歩いた。動機の福井威夫は経営者となり、F1から撤退した。
このホンダという企業は自動車メーカーとして不思議な成長を遂げてきた会社だ。技術があるということを常に誇りにしてきた会社だ。社名に残る技研とは技術研究所が出自であることの矜持だ。「(ホンダの)社長は技術畑出身であるべき」という伝統があるほどだ。
その点で、技術立国日本の象徴的企業であることは論を待たない。
それが技術で勝負せずに落ちぶれていくのは皮肉であるが、資本主義的成功とは誰がやってもうまくいくようなことをするのが常道である以上、その報いとしては当然の状況だろう。
技術的成功のあとに、お金がついてくる、その序列を忘れてしまったかのようなここ10年のホンダの活動は、この金融危機がなくても早晩訪れるべきものだったということも可能だろう。
レースを続けているとはいっても、運営会社の経営は外国人、開発もロス・ブラウン、なんの意味があったのだろうか。
「苦しいときのレース頼み」そういう言葉が本田宗一郎と藤沢武夫の時代にはあった。鈴鹿に工場をあえて作った会社だった。果敢なチャレンジと、素朴な生真面目さを基本とした経営こそ、ホンダを世界企業にしたのだ。その匂いをなくした今、ホンダの未来は暗い。4輪からの撤退し中国にでも売却するのではないだろうか。それもいい。2輪メーカーとして再出発した方がいいのではないだろうか。
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2008年12月15日

本末転倒も甚だしい

いろんな企業の工場で働いていた従業員のうち、非正規雇用の人が契約を更新されず、職と住む所を失っているという。
これに対し、政府は緊急に住宅を確保するという。
安易な人員整理に批判がでており、中には便乗リストラのあるのではないかという疑問の声もあがっている。
しかしこのような企業の行動はいいことではないが、違法なことがあるなら、労働基準監督署や労働委員会が動くはずだから、それが表だってこないということは適法なのだ。
適法であるなら、これを止めることはできない。
政府はさも弱者救済に着手したような顔をしている。なんでも1兆円内閣の麻生さんは記者会見で気前のよさをしめさんとばかり、こともなさげに表明したいた。
しかしこういうことが適法である世の中にしたのは、政府自民党が法整備をしてきたからにほかならない。安い労働力の確保と、経営合理化のスピードをあげるための労働者保護を軽微にした。労働者個人の努力による能力開発などにある程度の支援をするようにしたりしたものの、結局は企業側にメリットが大きい施策であった。
これにより中国やインドなどの新興国と競争する土俵に乗ることができた。これにより企業は「史上最大の収益」をあげることができた。
トヨタもソニーもホンダもキャノンも、みんなそうである。
政府と企業が推進した施策の結果、実感のない景気拡大時期をへて、一気に不況になり、そして人員の整理である。
なにもおかしいところがない。人件費を削ったからこそ、企業は儲かり、売れなくなれば作る必要がないから人はクビになるのだ。
これを失政と呼ぶかどうかは価値観の違いがあるだろうが、少なくとも納税者である有権者をないがしろにして、法人税率を下げるなどした企業厚遇の政策のつけである。
こういう事態になってはじめて社会の仕組みを理解していたようなマスコミも相当な悪だ。存在価値がない。木鐸としての矜持は完全に失われた。
企業の蛮行に、「日本型経営はどうした」などと書き立てる新聞はいまなおそんな欺瞞をまき散らしている。
語学ができる頭の良い連中ほど、アメリカ型の経営を望み、そういう企業を新旗手として持ち上げてきたし、そういう連中と気があう社員を多く抱えているのが新聞社だろう。
場当たり的に、都合よく論をふりまわす、新聞などはあてにならない。
今起きている現実は、すべて何年も前に仕組まれたことなのだ。仕組みが考えられた時、不況の時はこういうことがおこることはプログラム済みなのだ。
そういうことがおこなわれた中枢にいたり、それを知っていた、あるいは予測できる立場にいた者が、今の事態に深刻な顔をしたり、善人顔をしているのは確信犯的な悪ではないだろうか。
マッチポンプと言ってはチンケだが、それでも彼らの生活は安泰なんだからこれはギャグだな。

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イラクでは「犬」なのか、では小朝師匠は?



豚野郎ではなく犬野郎なのか?
ムスリムは豚肉は食べない習慣だから、犬なのか?
イラクでは小朝師匠は犬野郎?

ムスリムでは豚は特に嫌われているというのを聞いたことがあるけど。
豚は不潔で、なんでも食べてしまうような下品な動物だから触ってもいけないという。
だからといって犬を食うわけでもない。そういう動物は肉体に入れてはいけないくて、そんなもんを食ったら精神がおかしくなると信じている。
けれど豚より犬はランクが高いから、今回のイラク人の記者は多少の気遣いから「犬」と言ったのかもしれない。
ムスリムからすれば豚を食うヨーロッパ人は犬を食うよりも下劣な行為をしていることになる。
犬野郎と言われたブッシュは思いのほか俊敏に避けていた。
まるで打ち合わせたかのようだ、というと考えすぎか。
今年最後のネタを提供して、テレビに映りたい、とか。

しかし10インチの靴というと結構な大男だ。
この人が怒るのも当然だろうな。
イラク戦争をはじめた張本人が、後始末もできないまま職を去ってゆくのに、相変わらずへらへらしていたら怒るのも当然だ。この時期にイラクの地に立つことなど、よくやってのけたものだ。北京の時と同じで、思い出づくりなのか。
これからさらに1兆ドルかかるとも言われている米軍の対イラク費用。これが崩壊したアメリカ経済にどう影響するのかわからないが、当然協力要請が同盟国である日本ににもくるだろう。
オバマ政権とチャネルがない自民党政府としてはかなり苦しくなるかもしれない。


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2008年12月12日

裁判員制度の重いつけ

私は裁判員制度に反対である。
だからこそ裁判員候補に選ばれたかった。しかし通知はこなかった。
民間人が関わりのなかった事件に強制的にまきこまれ事件を裁くなどという負担は想像だにできない。
物証がでて、自白もあって、被告の責任能力も明らか、という事件ならまだしも、東金の事件のような裁判を担当することになったらどうするか?
遺族の立場を斟酌すること、法の厳正な運用、この板挟みに身を焼くような苦しみを味わうのはそのような職業を望んだものだけでよいのではないか。だからこそ、社会的に尊敬される独立した地位にいるのが司法であろう。
そのような地位をもったまま、責任を民間人にも押し付けようとするのはこれまでの歴史の否定であり、司法の終わりである。
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自民党がだめなわけ

自民党がもうだめなんだ、と本当に思う。
麻生が良いとか悪いとか、それは麻生本人に還元すべきことではない。
総理大臣なんだから、それを選んだ自民党全体の責任である。
自分たちで選んだリーダーなのに、もはや泥船からどうやって脱出するかという話になっている。
確かに失言や漢字が読めないのはまずいが、政策の実行責任は麻生一人にあるわけでなく、内閣であり与党にある。
総裁選というのはなんだんだろう?総理大臣の指名とはなんだんだろう。よく総理の任命責任が問われるが、その総理を指名した議員の責任はないのか。自民党と公明党の責任はないのか。
このねじれ国会をなんとかして、あきらかに空白期間だけが伸びてゆく状態を解消しようとするビジョンのもと、結集するグループがあるのならそれは許せるが、この時期に党内で権力闘争をやろうとしている人たちはなんなのか、それをしらけた感じでみている長老たちはなんなのか。
一年生議員にしてみれば、次の選挙で討ち死にする可能性が高いわけだだから、大きく揺れるのはわかる。ただその数がもはや虚数であって、期限付きのものだ。そんな実態のない数17を使って、騒ぎを大きくして自己の保身をなそうとしている者たちは国賊である。
自らのミッションを放棄し、ビジョンなき国政において、税金をつかって権力ゲームをプレイしている場合ではないぞ。

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2008年12月10日

「大連立」は正しく理解してから使おう

【政治部デスクの斜め書き】世論調査で浮上した「危険な世代」とは…

産経新聞による世論調査の分析だが、民主党政権を待望している40代50代の男性を「危険な世代」」と呼んでいる。

以下引用
 40代、50代の男性の多くは、麻生首相を「信頼できず」「魅力的でもない」と断じた…。

 その一方で、小沢代表を「信頼できて、魅力的」とみている…。

 そして「自民党中心の政治を嫌がり、民主党政権を志向する」方向性を強めている…。

 小沢代表への好感度と、民主党という政党への支持は同一化し始めたのだろうか。そして、それはそのまま投票行動につながるのだろうか


危険かそうでないかといえば、積極的な意味で危険はない。
だが、不作為という意味で危険である。この時代の閉塞感についての不満を、民主党政権に負わせようとしている。
「考えていない」ゆえの危険ということが適当だろう。積極的に自民党政権を終わらせることはしない。自民党でだめなら民主党、ということである。まったくお気楽な政治感覚しかもっていない。そういう選挙民しかもっていないことに産経さんは嘆くべきだ。

というわけで、産経のこの記事には滑稽な感じがした。
この記事を書いた人も40代らしいが、新聞記者なんかになる人は知識階級だから、圧倒的多数の政治的リテラシーの低い選挙民のことなどわかるまい。
振り返ってみてほしい、小学生のころに一緒の教室にいた級友を思い出してほしい。

話は変わって、私が興味を覚えたのはこの質問に対する答えだ。

 設問「次期衆院選の後に期待する政権の枠組みは」(男性の回答)

        男性全体 20代 30代 40代 50代 60代以上
 自民中心の政権 20% 23% 17% 12% 11% 28%
 民主中心の政権 37% 31% 25% 44% 44% 39%
 大連立政権   38% 39% 50% 38% 39% 30%

大連立の支持が高い。
自民党の倍ある。30代では半数が大連立だ。
20代から30代のほうがより問題が深刻なのではないかと思う。
果たして大連立はどんな政治的状況を作り出すことを理解しているのだろうか。
私はこの大連立なるものが、どんな絵を描いたうえでどこにこの国を導いていくのか想像できない。
一度の選挙では決着がつかないから、過渡的に短期的に大連立で危急的課題を片付けて、もっとおおきな国の設計図を競う選挙を次の選挙でやろう、ということならわかるが。

政権交代の大きな意味は、お互いが政策をぶつけあい切磋琢磨し、最終的には有権者が優劣を判断することにある。安易な大連立はその鍛錬の場をなくしてしまい、結局のところ責任があいまいのなかで、日本的コンテクストのなかで消化されてしうことになるだろう。つまりどこかでしゃんしゃ、として、あとはまたなあなあでやってゆくのである。

誰しもが言葉にすることはできないながら、時代の大きな節目を感じているのなら、そのような平時の日本的社会経営を一度留保すべきだ。明治維新のような混とんとしながら大胆に方向転換できるように白黒はっきりさせる事件が必要だろう。
今までのような曖昧な形をつくりだして、とりあえず答えのないまま言い訳のような政体の衣替えを望んでいる世代が30代男性に多いことこそ危険なことだと思う。その理由は社会に対してさほどの興味がないからだろう。愛国などというまさに明治政府が中央集権化の必要に迫られて作り出した幻想に、またもや乗ろうとしている。
産経的な愛国論でいえば、そのほうが安心なのかもしれないが。
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2008年12月05日

万国のプロレタリアート団結せよ

大分キヤノン1100人削減 東芝大分は期間工ら380人 労働局調査

このキャノンのトップが財界なんだから、これからおこることは目に見えている。
自分たちの取り分を減らしたくないから、他の誰かをクビにする。誰かをはやくクビにすれば、自分のクビはとりあえず安泰。結局、そうやって同じことが繰り返され、クビにならずにすんだ、と思ってセーフで年を越しても来年にクビになるのは誰かな?
自分がどうのってことでなく、労働者がこのような形で解雇する企業に対して確固たる決意で今こそ対決しなければいけない。
抵抗することにこそ、生まれた意味があるのだ。
今がその時だ、連帯せよ。
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2008年12月04日

自動車産業が終わり、次に環境がくる



自動車が売れないとエライことだ。景気の悪い象徴だ。
自動車産業で生産と雇用の維持ができないと、その波及効果化は経済全体に及ぶ。

でも間違ってはいけない。GMが傾いたのは、本業より先に小会社がやっていたファイナンス事業がおかしくなって、それを整理しているうちに本業もだめになったのだ。

日本ではトヨタをはじめみんなおかしくなっているが、ここ数年、都市への人口が集中して、若者が車を欲しがらない、などあって、売れているのは地方で軽自動車が活況であっただけ。要は新興国頼みだったので、確かに国内市場の縮小が鮮明になったが、それほど驚くことではない。

そうはいっても実態経済の悪化がここまできているわけだ。まだ体力的には健全なトヨタがGMを買ってしまえばそれでいいのではないのかな。
でもそれをやったら、オバマ民主党はどうするかな?オバマは来年の1月20日の前に、ブッシュ政権にビッグスリーのことは預けているらしい。自分の就任までこの問題を長引かせられないという判断だ。それならばここ10日が山だろう。巨額の公的資金の注入には異論が続出らしいが、トヨタに買われるくらいだったら、まだそのほうがましだろう。
トヨタが買ったら、それが救済だとしてもたいへんなバッシングにあうだろう。そういう問題なんだから、アメリカがやるしかない。

しかしそれにしても、この経済危機は自動車産業の衰退がひときわ目立つ。
日米ともに経済の根幹に自動車をおおいていることの危うさが露呈したともいえる。我々はこのまま自動車を中心においた産業を維持したまま、経済復興ができるのだろうか。
例えば日本の外需依存の体質はそのままでいられるだろうか。その中心に自動車があるのだろうか。

視野をちょっと変えよう。
例えば0系が引退してしまった新幹線
日本では建設が難しくなっている原子力
海水を水にかえるろ過技術

環境対策に新幹線は新興国に提案できる技術だ。
温室効果ガスの削減に原子力は有効だ。アメリカはこれから300基作る予定だ。
淡水を確保するには海水を使うしかない、特に中東。

日本には輸出できるすばらしい技術はまだまだ沢山ある。
産業構造自体を変えていってしまったほうが、未来に対応できる新しい経済の時代といえるのではないだろうか。
自動車産業が縮小することで、大変な打撃をうけるかもしれないが、時代の転換を早急に実現することが最大の国益である。

大胆予想としては、どんなに金をそそいでも再生できないアメリカ自動車産業はなくなるだろう。どんな形かはわからないが、オバマが消してしまうかもしれない。
その次にくるのは間違いなく、グリーンイズグリーン、緑は金になる、ということだろう。
経済復興局みたいなのを作って、次世代エネルギーの開発を国をあげてやるだろう。
あと数年後には次世代エネルギーバブルがきて、その何年か後にはじける。
ただそのとき、ドルは基軸通貨ではなく、世界は無極化している。

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2008年11月27日

少子化はなにが問題なのか

少子化といわれてから久しいがいったになにが問題かがいま一つわかない。経済危機によりさらに厳しい状況になるようにも思えるが、それがなぜいけないのかわからないので、少し整理してみよう。

まずは現在すすんでいる少子化の進行具合についてひどいありさまである。
「厚生労働省が発表する「人口動態統計特殊報告」によると、終戦直後の出産解禁現象により生じた第1次ベビーブームの頃には期間合計特殊出生率は4.5以上の高い値を示したが、1950年代には3を割り、1975年には2を割り込むようになって将来の人口減少が予測されるようになった。
さらに、2004年の合計特殊出生率は1.2888で、2003年の1.2905より低下し過去最低を更新し続け、2005年の期間合計特殊出生率も、1.26となり2004年の水準からさらに低下した。平成大不況で就職難のあおりを受けた世代がちょうど結婚や出産適齢期であったこと、景気が著しく悪く将来の生活に対する不安も大きかったことなどから考えると数字の下降はやむを得なかった面もある。
2006年は団塊ジュニア世代の出産期ピークということもあり、1.32と大幅に回復した。ピークが過ぎた2007年は低下すると思われていたが1.34と更に回復した。しかし出生数そのものは減少しており,今後も持続する傾向にあると予想されている。」

出生率があがっても数が増えないという事態になっている。出生率を少し改善できたとしも、人口そのもの増加にならないというのは救いがないように思える。

この20年ちかく、国は少子化対策をおこなってきている。それと同じ時期に、非正規雇用の割合は増加の一途を辿った。

政府はこの事態をこのようにみている。
少子化の原因と背景
●出生率は晩婚化と未婚率の上昇によるもの。さらに仕事と子育ての両立の負担感と、子供にかかるコストの負担感の増大

これには女性が母親として背負う負担と、家庭として受け止めないといけない負担の二つの側面があると思う。
母親になる女性の立場から言えば、例えば派遣社員と正社員での違いがある。派遣社員には育児休業をほとんどとれないし、取れたとして公的な給付が受けられないなどの不利がある。保育所に預けるにしてもハードルが高い。
さらに家庭として父母の立場で考えれば、自分たちの将来が安定していないのに、子供を持つことに不安を抱くのは当然である。男性の場合、収入と結婚率には明確な正の相関があり、これは子供を産むかどうかの選択にも影響すると考えるのが自然である。
非正規雇用を増やし、生産コストを削減して企業は業績をあげてきた。そのような企業経営を可能にする法整備を行ってきたのも政府であり、大いなる矛盾を感じぜずにはいられない。

少子化対策の基本的スタンス
●ワークライフバランス(仕事と生活の両立)の確立
●子育ての環境整備

しかし、結婚も出産も当事者の自由にゆだねられるべき、男女共同参加型の社会であること、子供が健やかに育つことは守られなければならない。

以上のような方向性をもって国がすすめている具体的な施策をみてゆくことにする。
まず働き方を変えるために、雇用環境の整備を推進している。まず、育児休業をとりやすくするための環境整備として給付金や復帰後の処遇改善、そして子育ての時間を確保しながら仕事を継続でいるような制度の確立、さらに出産・子育てのための退職した人の再就職支援までにおよぶ。
企業ばかりでなく、家庭や地域にも子育てのために適した環境づくりを推進する。母子保健施策の推進、子育てに関する相談窓口の拡充・情報提供体制の整備と家庭教育の支援、子育て等に関する地域交流の活性化、深刻な問題として児童虐待の対応、農山漁村における子育て支援、子供を犯罪から守る環境づくり、児童手当などである。
企業と家庭、地域のほかに、保育サービスの手当も不可欠だ。保育所の数を増やし、サービスの質をたかめることは危急である。
子供の教育という面からみれば、学校教育の在り方や、それを実現するための制度の再検討も含まれるだろう。次世代が自ら豊かなビジョンを創造し、それに向かって努力してゆくべきなのかまでを視野にいれないと長期的な指針とはならない。

ところで少子化はそんなにまずいことなのか。

少子化で困ること言われていることを列挙する。
●消費が減少する 娯楽産業から住宅耐久消費材への消費が減少する
●労働力が不足する
●年金制度が破たんする
●GDPが減少する
●地方が衰退する
●内需が拡大しない
●人口密度が下がると地域の活力が失われる

その反対の意見もある。少子化の影響はでてこないという立場だ。
●労働力不足は個人の生産性の向上、特に女性と高齢者が補うので心配がない。
●年金の問題は、給付制度に問題があるので、賦課方式をどこかで積み立て式にかえればいい。人口構成に影響を受けない方式を考えればいい。高齢者医療の負担が増えることは別問題。
●経済の活力が失われるとは一概に言えない。グローバルに人材を調達している企業にはその心配がない。国内に必要な労働力は外国人を雇用することで補える。土木や工場での労働者は現状でそうなっている。看護士などの感情労働には抵抗があるかもしれないが、それほどの問題ではない。

両論あるのだが、私は結局は縮小均衡するのだろうと思う。困ることはこれまでの規模を保つ、あるいはそのまま成長することを前提にしている。前提を変えれば、少子化を受け入れられる。
企業も政府も一部のエリートが意思決定をしてゆくのだが、彼らには場所に対するこだわりがない。どこにいっても、どこで働いてもいいのだ、待遇が良ければどこでもいい。海外で働いた方がいいと思えばいくわけだし、それによって税金を払わないし、その子供は当然外国に住む。彼らは日本に工場をおく必要がないと思えば、外国に工場を移す。空洞化とよばれる現象だが、この延長線にこそ少子化がはらむ本当の問題があると思う。
経済は縮小均衡したとしても、われわれの生活圏は大きく様変わりするだろう。外国人がたくさんいるということではなく、人とのつながりには温かみがなくなるだろう。すべてコンビニとファミレス化してゆく。善意と自発性に満ちた商店街の代わりに、役割とマニュアルで動くそのような店しかなくなる。人間関係のきずながあるような社会関係を維持する知恵や工夫がなくてすむような社会である。お祭に象徴的な古い形の地域のコミュニティではない、なんでも役割とマニュアルが支配する人間関係のみとなる。
それでも人間関係のきずなをもった地域社会を作るにはどうすればいいのか。
年金の問題などの経済的などは数値化しやすいがゆえに、人の関心をひきやすい。人々はばらばらなので、共通に認識できる数値を問題視して、善し悪しを考える。数値化できないものは見えにくくなる。
仕事や消費を通じての自己実現というこれまでの生活の軸としていては、これからの社会では生活世界の充実は望めない。どのような生活空間になるかということを一人一人が想像できないと、やはり企業の論理を中心にしたこれまでの政策が踏襲され、そこから導かれる数値にとらわれた考え方しかできなくなる。
豊かさと自由は両立しない。豊かになると、自由が大事、貧しくなると自由よりも相互の扶助に傾くというが、この難しい課題を克服していかなくてはならない時期だということを自覚しなくては、少子化がなかなか解決できないことの息苦しさを解消できないのではないかと考える。


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2008年11月26日

まだ福田のほうがよかったかも

麻生の前は誰だっけ?となりつつある巷の空気。
総選挙より先に総裁選では、なんて言われてもいる異常事態。
福田の末期に似てきたという評価もあるが、こうなってくると消費者庁構想や洞爺湖サミットにおける福田ビジョンなんかあったから麻生よりは実績があるかもしれんな、とか思ってしまう。

消費者庁は野田聖子自らがアムウエィから献金をもらって国会質問していたなんてことが明るみにでて、こんなんではまともな消費者保護が国会議員にできるのか、という感じになってしまった。
あの時点で野田がやめていればまだ救いはあったが、そのままになったので期待はしりすぼみ。さらに汚染米のことも農水省への責任追及が甘いように見え、有識者会議が報告書をまとめたくらいで、消費者庁ができたことによる地殻変動の兆しがまるでみえなかったことは大変残念。

結局、業者は倒産したのだが、不正競争防止法(虚偽表示)で捜査されている。農水省の告発を受けて捜査当局が着手したが、その範囲が限定されるため食品衛生法違反へ範囲を広げて捜査する、というような記事を9月に読んだがあれからどうなったのであろうか。詐欺罪の立件も視野に入っているという報道だったが。
朝日新聞によれば三笠フーズから逮捕者を出したというのはない。その後、浅井という別の業者にも強制捜査が入ったがその後の報道はない。
農水省が適正な管理をしていなかったことは犯罪ではないのか、とも思う。役所だから存続できたが、企業であれば大変な信用の失墜であり、三笠と同様に廃業になるであろう。
国の目をごまかして、なんてことではなく、国はどうでもよかったのだ
。事故米とか言っているが、どうして事故米などを買っているのか、そもそもそこからがおかしいと思うが、とにかくMAを簡単にすませたいからなんでもよかった、みたいな話だろう。商社まかせで、それがめぐりめぐって納税者の口に入るとは思わなかったということだ。誰のために働いているのか、農水省。
農水省こそ、一番大きなダメージを与えるべきだが。
健康被害がでなければ、組織としての欠陥を断罪できない今の司法制度はあきらかに不備がある。だからこそ、消費者庁は農水省を激しく断罪して、消費者が希望をもてる行政の先鞭をつけるべきであった。マンナンライフを呼んで威嚇する程度しかできないことをさらけ出したような格好になったのも大きなマイナス。
福田が続いていればもっと違った展開になっただろうと思う。

もうひとつは温室効果ガス削減についての取り組み。
洞爺湖サミットではうやむやになったが、セクター別の
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2008年11月25日

それで元のように平穏か

テロではなく、私怨であったようだ。
理解しがたい事件の背景に、世間の関心は薄れてゆくだろう。
しかしこれに乗じて、ビビった官僚は過剰なまでの自己防衛に乗り出すだろう。それに属した人間たちの過去も未来も外に漏れないようにするのか。
そのうち新聞にも次官の名前がでなくなるかもしれない。

それにしても滑稽な事件であった。
連続テロ、と大見出しを載せて、面白く報道していたのはなんだったのか。
テレビにでてくる警察あがりのコメンテーターは一様にテロよりも個人的な恨みだという見方だった。
新聞もテレビもこの程度だったのか、と実感させられた。
かなりレベルが低く、よりインパクトのあるほうに吸い寄せられやすい。
マスコミが体質を変え、骨の太い方に向かないと、この先の見えない不安定な社会はよりその脆弱性を増すだろう。やはり最後はひとりひとりがしっかりとした視座をもっているかどうかになるのだが。
posted by 遠藤カンジ at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

狼狽ぶりが目に余る

推測による過剰な防衛反応がここにも見られるということなのか、あるいは当局はそれなりの情報があってこの対応なのか、よくわからないが、犯行声明もでていないのにものすごい警備を敷いているようだ。
あの報道をみていると、これこそ税金の無駄遣いではないかと思う。面倒だからやられそうな人は都内のホテルかなにかに集めて、解決するまでそこで一緒にいてもらったほうが安上がりだよ、きっと。
事務次官の出勤にパトカーが2台ついて、私服が11名というのは、確かな情報の裏付けがあってのようにも思える。また新興宗教とかそういう関係か。爆弾とか狙撃とかでなく、刃物で単独できているみたいなので、犯行声明もないなかでテロと判断するには材料が不足している。備えあれば憂いなしということなのだろうが、なにか変だ。金属探知器で入省する人をチェックしたり、年金関係の部署に警備員をおいたり、手際が良すぎる気もする。

報道の通りに犯人像が具体的に見えてきていないことが本当だとしたら、「備えあれば」というより「狼狽して慌てている」というような映像だ。年金というキーワードでこの事件を語たらなくてはいけない、というようなバイアスができている。政治家ももうそのつもり。
それほどに年金問題は「やっちまった」という自覚があるのかと思えるほどだ。そうなっても仕方ない、という罪の意識が、過剰な防御反応を引き出しているように思える。
某厚労大臣経験者のコメントとして「最近も後期高齢者医療保険が気に入らないといって刺してやるという電話がかかってきた」と放送されていたが、命を狙われるほどの切迫した空気がすでに厚生行政にはあったと考えていいのだろう。
事件の真相が語られるまえに、すでに国民に対して反省モードな厚生労働省ってことなのだろうか。
どうもどいつもこいつも軟弱で、ちょっとづづ意地悪をして、相手が怒り始めたら、逃げ出しすという感じに見える。
もっと堂々とできないもんかね、文句があるのならおれのところへ来い、暴力でなく正々堂々と議論しようではないか、みたいなことをアピールできる政治家なり官僚なりでてきたらいいかね。大仁田とか神取とかいなかったっけ、ニタはもういないのか。
馳はどうだ。
なんかみんな、身捨つるほどの祖国はありや、って感じだよな。










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2008年11月19日

冷静に

都内でも元次官妻刺される=重傷、自宅に刃物男−厚生官僚狙い連続テロか・警視庁

テロという言葉が気になる。
テロによる殺人や暴力には政治的、民族的、宗教的な対立が背景にあるのが普通である。
この事件でテロという言葉が使われるのは、この元次官への個人的な怨恨などではなく、厚生行政、さらに国家に対する破壊的行為を連想しているのだろう。
その連想からあらたな連想として、ネットでは犯人を「新たな神の出現」として賛意すらうかがえる。
殺された元次官が得た給与や退職金が明らかにされ、まるで彼らが高級官僚だったことで私腹を肥やし、地位を利用してさらに利益を得ていたので、同情など不用という空気だ。
これが本当にテロであるなら、法治国家への重大なる挑戦であり、これを許してはいけない卑劣な行為だ。
だかそれは現状ではなんとも言えない。
事実がなんなのかわからない状況にあるにもかかわらず、高揚した気分がうかがえるのはなんなのだろうか。
閉塞感がここまできていることは理解できる。
「ざまみろ」というのが本音としてでてくることに危うさを感じる。
言ってはいけないその感情がでしまっても仕方がない状況であるということを理解して、今がどのような時代なのかを考える必要があるのだ。

役所の仕組みがわかりにくすぎることが、このような感情を喚起している。
年金の問題がすっきりしないのは、それは犯罪なのだ。人の払った保険料を横領し、受け取り金額を少なくする操作は、財産権への重大な侵害であり、これを裁判で罰しなければならない、と思うのは普通の感情だろう。この仕組みがないことが放置されている。この「おかしい、ありえない」状況で、テロであっても支持する国民がでてくるのは国家が国家たる責任を果たしていないことが要因としては大きい。
この事件の捜査とは別に、テロを受け入れようとする異常な事態を正視しして、公を再建していかないと自由と相互扶助を基本とする市民社会は永遠に失われるだろう。


posted by 遠藤カンジ at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シティが消滅までするのか



「サブプライム問題は端的にいえば、シティの巨額損失をいかに穴埋めするかということに帰結する」と昨年は言われていた。

 「シティの株価が低迷から抜け出すには時間がかかるだろう。というのも、シティのサブプライム関連の損失は現時点で2兆円規模と見込まれているが、米国の金融関係者の間には、『実際はその5〜10倍、10兆〜20兆円はあるのではないか』」と言うことだった。

昨年の小沢辞任騒ぎに発展した、大連立構想を覚えているだろうか。
あれは11月のことだったが、その2ヶ月前にロックフェラーの総帥、デビッド・ロックフェラーが来日していた。
表向きは出版した自伝のプロモーションのためだったようだが、その裏には日本政府にシティの救済を直接求めにきたというのが本当の理由だという。
それを受け中曽根、ナベツネが動くようにみせかけながら、唐突な大連立の流れができたのだ、とされる。
りそなの売却という案もあったらしい。

大連立は流れた、りそなもそのまま、そして危機は進んだ、シティは瀕死の状態。
オバマ政権の誕生、ジェイの勝利のシナリオは進行中。
ジェイは日本に民主党政権を作り、覇権を確立する。
それでなにが起こるのか?

posted by 遠藤カンジ at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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