2013年06月02日

公明党という存在

大阪市議会をフラットに考えると、それは地方のことであるから、他では理解が難しい特有の事情があるのだろう。アメリカの言うところの地方の行政官に過ぎない市長と、議会の対立であれば、鹿児島の阿久根や佐賀の武雄、そのあたりと同列なのだが、この市長は国会に議員を送り込んでいる政党の代表であることだ。その市長の発言が今回の問責の発端であることについては、なんら議論する価値はないと思っている。
彼の発言が不正確かつ謙虚さや愛を欠いていることから、自分から自身の人格に対しての疑念を与えることになったのは、これまでのやり方を継続しているだけのことである。今回、自分の党が埋没、退潮傾向であることの対策として、報道上の面積の確保をするために時間をかけずに炎上させた、こう言っておけば大体の概要はつかめる。
対アメリカ、対東アジアに、基地問題と歴史認識問題を一方的に主張すれば燃え上がるのはわかりきったことであり、国内からの一定の支持は得られる。未熟な民意のコントロールなどは心得ている、と言わんばかり。
右も左も騒ぎ立てるが、いつものごとく論点をずらし、相手の生ぬるさにつけ込めば、見世物に飢えている選挙民はついてくるだろう。こういう騒ぎのコストも民主主義のコストであるから、他の無駄と比べれば許させるのだ、という論法。
この手の人間に対する時は、命を惜しむとか、幼稚さを指摘される恥とか、そういうものは一旦おいて臨まなくてはなりませんな。なにしろ相手は、撤回も謝罪も自由自在、なぜか周囲がそれを許してくれるから。
彼が繰り返す発言の撤回と謝罪は魔法の言葉で、普通の大人がやっていたらとっくに普通の大人から発言も行動も信用されなくなるレベルである。しかし政党の代表であり、大阪の市長である。
だから問責を提出するのなら、当然相手は選挙でもやって、圧倒的に不利な自分のポジションをいつのまにかひっくりかえすチャンスを作りだすという手になることは読めるのである。公明党が未熟な政党で、このようなあまちゃんがある程度の発言権を得ていることが、いつまでたっても成熟せず安定もしないこの国の原因なのだ。これが今回もはっきりした。某国の思いのまま、思いのままというのが、橋下のような為政者と公明党のような政治組織をおいておけば、まともな民意などはでてこないで済むのである。
しかし橋下氏は今回決定的なミスを犯している。軍に対しての認識があまりに軽かった。
女をあてがっておけば、兵士は勇敢に戦うのだ、ということを、現場の司令官に進言してしまった。
そうじゃない。それで回収できるストレスならば、なぜ帰還兵が自殺をするのか。その数がアフガンの戦闘で死んだ数より、帰還して自殺した数が多いのである。戦場を目の前にしている兵士の心理状態にまったく行き着かない。戦場を知らず、平和ボケであるとの非難を免れない。このようなヘタレの発言権を維持させた公明党はこの国をこれからも迷走させ続けるの。
posted by 遠藤カンジ at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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