2013年06月02日

ニューヨークタイムズの社説から

ちょっと前の話なのだが、記録として。

アメリカ国務省が橋下氏が訪米しても、面会する要人はいないだろう、とコメント。
こういう言い方は反米の中南米政府に向けられることが通常であったが、同盟国に向けられたことは橋下を国務省は切り捨てていることの表れだ。
この後にニューヨークタイムズが今度は安倍首相に橋下をきちんと糺せと社説を張ってきた。
この新聞はかつて橋下の躍進ぶりを「未来の総理かもしれないポピュリスト」と解説していた。
歴史修正を企てる極右を恐れるアメリカは安倍氏を不安視していたが、政府として方針を決めたように読める。

橋下を厳しく断罪し、表舞台から消えてもらうように動くその真意は、安倍に対する強烈なメッセージである。
安倍が河野談話を見直すようなことがないようにということなのだ。そのような動きをアメリカは一切認めないのである。
改めて考えてみたいのだが、橋本(安倍)の主張をアメリカ(韓国でもなく中国でもなく)がまったく受け入れない理由はなんなのであろうか?
橋下氏の「当時は慰安婦は必要だった、それはどこの国の軍隊にも」、この発言をアメリカはまったく理解しないだろう。日本とアメリカは違うのだ、今も昔も、そして今も昔も合衆国軍はそんなものは必要としていないのだ、ということだ。橋下氏の立場から言うのであれば、まず主張しなければいけないのはここである。このことを調べたいのであればすぐに沖縄に行けばいいのだが、それができていないようである。
日本はその後、戦争に巻き込まれず平和ボケしたわけだが、アメリカは連続的に戦争をしてきている。「当時」も今も問題は綿々と、そして深刻に続いているのだ。橋下氏の論法は歴史の重みがどういうことかをまったく想像もしていないが、司令官たちは戦場のストレスが性的欲求で回収されることではなく、本質に人間性のゆがみから暴力性がにじみ出てくる異常性について真剣に向き合ってきている。当時のアメリカがそれにどのように取り組んだのか一般的になっているだろうか。それよりも深刻化している現代にまで続く話として語られることが国家として良いことなのだろうか。そこにあまりに軽く踏み込んでしまった橋下氏は許されまい。
「あの当時、奴隷制は必要でした。今日現在、奴隷制はないですから」という論法が成り立たないのと同じである。人種的差別については今もなお、アメリカは苦しんでいる。過去から現在まで、この問題がどのように扱われてきたかを語らずして、「あの当時は」と言われても反感を買うだけである。

私は橋下氏はもっと真剣に考えて発言すべきだったと考える。韓国がアメリカの支持を得ることで、日本よりも優位に立つという戦略に対する反撃どころか、自らの政治的生命が危険になった。
維新の人たちも同じことかもしれない。
posted by 遠藤カンジ at 23:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

公明党という存在

大阪市議会をフラットに考えると、それは地方のことであるから、他では理解が難しい特有の事情があるのだろう。アメリカの言うところの地方の行政官に過ぎない市長と、議会の対立であれば、鹿児島の阿久根や佐賀の武雄、そのあたりと同列なのだが、この市長は国会に議員を送り込んでいる政党の代表であることだ。その市長の発言が今回の問責の発端であることについては、なんら議論する価値はないと思っている。
彼の発言が不正確かつ謙虚さや愛を欠いていることから、自分から自身の人格に対しての疑念を与えることになったのは、これまでのやり方を継続しているだけのことである。今回、自分の党が埋没、退潮傾向であることの対策として、報道上の面積の確保をするために時間をかけずに炎上させた、こう言っておけば大体の概要はつかめる。
対アメリカ、対東アジアに、基地問題と歴史認識問題を一方的に主張すれば燃え上がるのはわかりきったことであり、国内からの一定の支持は得られる。未熟な民意のコントロールなどは心得ている、と言わんばかり。
右も左も騒ぎ立てるが、いつものごとく論点をずらし、相手の生ぬるさにつけ込めば、見世物に飢えている選挙民はついてくるだろう。こういう騒ぎのコストも民主主義のコストであるから、他の無駄と比べれば許させるのだ、という論法。
この手の人間に対する時は、命を惜しむとか、幼稚さを指摘される恥とか、そういうものは一旦おいて臨まなくてはなりませんな。なにしろ相手は、撤回も謝罪も自由自在、なぜか周囲がそれを許してくれるから。
彼が繰り返す発言の撤回と謝罪は魔法の言葉で、普通の大人がやっていたらとっくに普通の大人から発言も行動も信用されなくなるレベルである。しかし政党の代表であり、大阪の市長である。
だから問責を提出するのなら、当然相手は選挙でもやって、圧倒的に不利な自分のポジションをいつのまにかひっくりかえすチャンスを作りだすという手になることは読めるのである。公明党が未熟な政党で、このようなあまちゃんがある程度の発言権を得ていることが、いつまでたっても成熟せず安定もしないこの国の原因なのだ。これが今回もはっきりした。某国の思いのまま、思いのままというのが、橋下のような為政者と公明党のような政治組織をおいておけば、まともな民意などはでてこないで済むのである。
しかし橋下氏は今回決定的なミスを犯している。軍に対しての認識があまりに軽かった。
女をあてがっておけば、兵士は勇敢に戦うのだ、ということを、現場の司令官に進言してしまった。
そうじゃない。それで回収できるストレスならば、なぜ帰還兵が自殺をするのか。その数がアフガンの戦闘で死んだ数より、帰還して自殺した数が多いのである。戦場を目の前にしている兵士の心理状態にまったく行き着かない。戦場を知らず、平和ボケであるとの非難を免れない。このようなヘタレの発言権を維持させた公明党はこの国をこれからも迷走させ続けるの。
posted by 遠藤カンジ at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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